プログラミングを楽しくするために

僕はJava一辺倒・・・というわけでもないけど、Java一辺倒に近い形で今に至っている。なので、Javaが色んなところでああだこうだ言われるようになってきた光景を見ていると、色々なことを思う。

Javaエンタープライズのメインストリームになったんだと実感することが多いかなぁ。個人的には。色々とJavaが古いとか冗長だとか言う人がいるけれども、それはエンタープライズの話でしょって気がする。面白いことをエンタープライズの世界には求められない。利益を上げなくちゃいけないしね。Rubyも結局のところいかにしてエンタープライズに食い込むかっていう話になりつつあって、とてもつまらない。んで、エンタープライズ系だったらJavaは通らざるを得ない道で、歴史がそれなりにあるにもかかわらず様々な問題点が修正されていないのはなぜか?という点にまで食い込んで議論をすべきなんじゃないのかなぁ。後方互換性のためなんだよといった具合には簡単に言い切れない、難しくて微妙な問題があるんじゃないのかと思うから。

本当のところ、Javaに関してネガティブに言及している人は、Javaそのものではなく、Javaにまつわる何かが嫌いなんだろうな〜と思う。Javaを使っていてどうしようもなく技術力が低い人とか、Javaを使っているどうしようもなく程度の低い仕事とか。でも、世の中はそういったつまらない、どうしようもないもので90%以上が占められている。オープン系への移行と、ウェブ社会の成熟がそれをはっきりと示しただけの話であって、何をいまさら言っているという感がしないでもない。それはJavaRubyに取って代わったところで大して大きな違いにならない。

そういう人を駆逐したい気持ちには共感するし、とてもよく分かるけれども、それに時間を使っていてもしょうがないと思うな。僕は過去にリアル世界でそういう人を駆逐する振る舞いをしたことがあるが、結局、何の意味も僕にはもたらさなかった。僕自身がそういう振る舞いは意味がなかったと悟ることができただけだった。

だからさ、Javaがだめだとか、プログラミングがつまらないとか、そんなこといっている暇があったら、現状を楽しくするために少しでも工夫した方がいいよ〜と思う。こんな若造の僕ですらそう思うんだから、世の中のすごい人たちは基本的にはそう思ってるんじゃないのかな。

そういう僕は、少しでも現状を楽しく出来るように工夫している。仲間も少しずつ増やすようにしている。ありがたいことに、今、僕はとても楽しいよ。でも、楽しくするために努力し続ける大変さはよく理解しているから、今の僕の現状が、僕の実力だとは思っていない。たまたま境遇がよかっただけ、ときちんと理解はしている。今の幸運ができるだけ続くことを願ってる。


追記:色々とミスを修正。

SIerはなくならない。

原料の高騰はもはや避けられない様相になっている。さらに、日本では労働人口も下落することが約束されている。日本の未来は、暗い。どう考えても暗い。原料が高騰し、労働人口が減るということは、今までの形態のような社会や産業ははっきり言って成り立たなくなるといってもいいだろう。

原料高騰に関しては、日本国内で生産できるものは出来る限り生産することが求められていくはずだ。労働人口は一向に増えないのに、原料生産に人手が取られていくのだ。どう考えても、足りなくなる人手をITによって補うより他ないと考えている。よって、IT以外の非生産産業における人材はとにかく減っていくことは間違いない。極論をいってしまえば、「生産産業(第一次産業など) + IT産業 + 残りかす」が日本の将来になるのではないか?

そう考えると、日本のIT産業に対する期待はいくら大きくても大きすぎないといっていいだろう。要するに、6000人のシステムでへばっているようでは、全くお話にならない。24時間ATMでへばっていては日本に将来なんてありえない。マスコミに煽られたとて、それが障害になるようではどうにもならない。

記事を書いた人の気持ちはとても分かる。分かりすぎる。だが、SIを盛り上げて生きたいと願う人間ならば、さらに上を行って「日本の全てを担う」ぐらいの気概を持とうじゃないか!!といいたいのだ。


日本におけるSIerは最強だが、最強ゆえに責任も重いのだ!!

確かに、素人にとっては「ほめ殺し」に見えるかもしれませんが、各マスメディアがトラブル発生を手ぐすね引いて待ち構えている中で、「自分は多少のトラブルを針小棒大に煽り立てるようなことはしない」と(関係者に向けて)宣言したコラムだったのだろうと思います。
http://d.hatena.ne.jp/codemaniax/20080516/1210948653

ATMは便利だけれど、いざ止まったら利用者はどう行動すべきか。それをあらかじめ想定しておく。そういう「成熟した対応」が必要なのではないかと思うのです。

例えば、今回の例で言えば、一般の利用者は統合作業の前(平日)に必要な現金を引き出しておく、事業資金として振込等が必要なのであれば、銀行の本支店で手続きを行う。

事前にそのように認知されていれば、何の問題も無かったはずです。私も、普段セブンのATMで東京三菱の口座の出し入れをしているユーザーですが、そう思います。
http://d.hatena.ne.jp/codemaniax/20080513/1210693791

若者としてとても気がかりであること

若者というか、個人の人間として、一番気がかりなことは何かといえば、つまり、おっさんになりたくないということなのだ。いくら給料が高くても、天下り先で何も仕事がないような人生だけは自分は送りたくない。だから、公務員になって天下りとか考える奴の気が知れないわけだが。

何にせよ、「おっさん」というのは自分以外のものを面倒見なきゃ、存在そのものが否定されてしまうのだ。その代わり、自分以外のものの面倒を見るスキルも持っているはずだ。つか持ってなきゃダメだ。そうなると、「幸せなハッカー人生」を歩もうと思ったら、少なくともしばらくはハックの対象を変えなきゃいけない。
おっさんハッカー | おごちゃんの雑文

これは、自分が一番気になることだ。どうやっても自分の若者としての賞味期限は過大に評価しても10年前後しかないわけだ。それは、自分自身が何よりよく分かっている。では、10年前後の後の人生を技術者としてどう歩んでいくべきか?
問題は、この問いに対する結論を出すことが今の自分には全く出来ないことだ。というか、全く将来の予測を立てることが出来ないのだ。これは若者だからなのかなぁ。自分がいたらないからなのか。いずれにせよ、結論を出せずにここまで来てしまった。
結局、目の前のことをやり続けていくしかない。最近はそう結論付けているが、目の前のことをやっていたらとてもハッカーになれるはずもないので、まあ、おっさんにならないように他の人の面倒を見る技術を身につけていくべきなのだろう。


そういえば、今日はおっさんと若者が満員電車の中で話しているのを見かけた。親子ぐらい離れているので、本当の親子だったかもしれない。おっさんの方がしきりに若者に気をかけていてとても面白い光景だった。まあ、おっさんがかいがいしく若者を面倒見ている光景はちょっと変ではあったけれど、本人同士にとっては、それはそれで面白いことなのかもしれない。自分は、違和感なく若者の面倒を見られるおっさんになれるといいが、さてはて。

これだからブログはやめられない

NHKスペシャルか。NHKは健闘しているね。ぜひ見たかったが、世間に対する視野を狭くしても、今は勉強に明け暮れている毎日。ブログをやめられないのは、こういう情報を要約してもらって手に入れられるからだ。こういうメディアがもっと早く登場していたら、日本も変わった形で今を迎えていたのかもしれない。

これは、介護保険でも生活保護でも同じです。全てのテーマに通底するのは「無力さ」。セーフティネットに頼らざるを得ない人々も、そのセーフティネットに関わる人々も、それが人々を救う「最後の命綱」になり得ない危機的状況に晒されている事に無力さを味わうのです。そこは、すでに「自助努力」や「前向き」といったポジティブ・シンキングではどうにもならない現実が目の前にあるからです。
セーフティネット・クライシス - シートン俗物記

貧困というか、圧倒的大多数の日本人は、他人に迷惑をかけてまで生きようとは思っていないように思う。そう思っているわがままな奴を見たことがあまりない。だからこそ、最近の貧困層に対して余計に無力感を感じるのかもしれないね。助けてあげたい人だからこそ、そういう人だからこそ、助けられない無力感が増長する。

どうすれば今の資本を再配分できるか。再配分に関しては、色んな議論があるところだけれども、結局、再配分しか現状のセーフティネットに対する処方箋はないように思う。長期的には、色々な手立てを考えていけるだろうけど、今現時点で出来ることとしては、結局、金持ちに拠出してもらうしか方法はないだろう。

そうはいっても、金持ちだって今の生活を捨てることは難しいだろう。まったく、いつからこんなに日本人は贅沢になったのか。昔は闇市で日銭を稼いでいた人もいたらしいが、そんな日本を今ではまるきり想像できない。当時の日本にはセーフティネットなど全くなかったはずなのに、みんな希望を持って生きていた様子だよね。う〜〜ん。社会が現在のような形に構成されたときに、何を間違えたのだろう。その何かがまだ僕には分からないが、とにかく、考えなければならないことはよくわかった。

地獄への道かどうかなんて、いつまでも分からないものさ

地獄への道に関しては、確かにそうなんだろうな〜と思うけど、本当にそれが地獄への道になるかどうかは議論に議論を重ねるべきだと思う。というか、議論を重ねたところで本当に地獄と認定できるかどうかすら怪しい。

ベンチャーを促進したいという善意は上々。しかし単に大学院定員を膨らすだけでは「間違い」であって、深刻なポスドク問題を生み出しました。
2008-05-11

ポス毒(あえてこう書こうw)システムは、本人たちにとっては問題かもしれないけれども、周りの人間にとっては実は幸せになる面も多くあった。というのも、教育の世界は、常に人手不足で、教授だって研究したいのに学生の面倒を見なくちゃいけないので、手伝いとしてのポス毒は便利。修士の研究生からすれば、博士以上の人間と研究の議論を出来るのはとても貴重。学生にとっては、ちょっとした風変わりな人で、人生においては交わっておいて損のない人になる。
つまり、色んな人が幸せになるシステムであって、これをいたずらに批判するのはどうなんだろうと思わないでもない。確かに、今現在のポス毒を経た人たちが不幸になりやすい現実は問題があると思う。でも、制度自体は全く問題がないし、幸せになる人の数も圧倒的に多かったりする。最初の「間違い」は確かに間違いであったけど、実は多くの人がその恩恵を受けている現実もあったりする。
本当はシステムの問題ではなくて、雇用側の認識の問題とか、上が詰まっちゃっててどうしようもない上に使えもしない教授/研究者連中をとっとと解雇できない国の研究機関、大学が悪いんであって、システム自体にはそんなに問題はなかったと思う。
とここまで書いてきたけど、この記事の本筋とは違ったかもしれない。ぐだぐだと書いてきたけど、僕はポス毒システムを支持しているし、だめだめ博士課程の人間を救うことに焦点を当てる必要はないと思っている。やれる奴はどんな場所でもやれるしね。というか、そもそも博士課程以降が茨の道なのは百も承知でいてくれないと困るよ。